気づかされた存在の大きさ
10数年前の新入職員の入社式の日に夕方。
突然、実家からの携帯に連絡が入った。
お父さんが危ないらしい
何を言われているのか、さっぱり分からず、パニックになった。
入社式の日に上司にオロオロしながら、パニック状態で話した。
なにも考えずにとにかく実家に帰りなさい
上司はすぐさま実家に帰るよう言ってくれた。
車を飛ばして実家に帰ると・・・
ケロリとしている父
と遭遇。
固まった。
「危ない」ってどこが?と。
確かに入院はしていたが、ベラベラと話す父。
入職したての私は、仕事が翌日あるのに休ませてもらったのに・・・
とイライラしてしまった。
後悔
ケロリとしている父。
実家を離れ5年目、盆暮れ正月しか実家には帰ってなかったため、父は大喜びで、入院中であることもあり、様々なお願い事を私にしていた。
お願い事も大したお願い事ではなく、
「あれとって」
とか
「新聞買ってきて」
というような小さなお願い事であった。
しかし、父が危ないと聞いていた私は拍子抜けしているわけで・・・
「それくらい自分でせんね!!」
と怒ってしまう。
その後、昼食を食べに母と病室を開けた。
帰ってくると
さっきとはガラリと変わった父の姿。
横たわり、ベッドに大量に嘔吐していた。
意識はない。
看護師さんも、医師もいない。
足が動かなかった
ようやく看護師さんたちが大勢でやってきた。
「ご家族は外でお待ちください」
と廊下で待つように指示をされた。
父が気になって仕方がない。
「クモ膜下出血です。緊急手術が必要です。」
と医師から伝えられた。
処置を終えた父は、たくさんの管が繋がっていた。
「お父さん!!」
と何度も叫んだが、返事はない。
緊急手術は10数時間にも及んだ。
手術待合室も人がどんどん帰っていき、母と2人きりになった。
待合室前の廊下の電気も消え真っ黒になった。
深夜に手術を終えた。
父はまだ意識はなかった。
自分自身を責めた。
「何で怒ってしまったんだろう・・・」と
目覚め
数日後父は目覚めた。
麻痺は軽かった。
仕事に戻るため、母に毎日足と手を洗ってあげるよう伝えた。
洗い方も教えてあげた。
2回目の出血
安定してきたと思った。
リハビリ病院に転院までできたが、リハビリ病院で2回目の出血を起こした。
2回目の出血はダメージが強く、手は麻痺し、どんどん曲がっていった。
気管切開が取れない状態だった。
家族は認識出来ているようで、じーっと見ていたが、家族の話しかける言葉にうなづいたりすることは難しかった。
話していることが理解できていないようだった
つづく