リハビリテーション
2回目のクモ膜下出血から、状態が落ち着きリハビリ病院へ転院した。
遠方に住んでいたため、両親共に自分の住む地区へ引っ越しをさせた。
転院には、救急車で高速道路を2時間ちょっと走り、医師も同乗して転院してもらった。
父には、毎日仕事帰りに会いに行った。
人前では、ツンとした表情の父。
母と私だけの時は笑顔も見せた。
たわいもない話に、いつも花が咲いていた。
地元の話には、反応することが多かった。
リハビリで、ご飯が口から食べれるようになった。
普通のご飯ではなかったが、口から食べれることで、母はこの味付けなら・・・とリハビリの方に色んな相談をしては、食べられるものを探して持って行っていた。
自力では歩けなかったが、リハビリ中は歩行訓練もしていた。
新しい命
結婚し、子供が生まれ、初孫を初めて抱っこした。
目を見開いて、そろりそろりと母の手を借りて抱っこしていた。
必死で、落とさない等にしっかりと片手で抱っこしていた。
子供は、少しづつ大きくなり、面会の度に嬉しいそうに抱っこしたりしていた。
病院の夏祭りも一緒に行くことができた。
子供が泣くと、父も泣きそうな表情だった。
転院
リハビリが終了し、療養病院へ転院することとなった。
療養病院の医師もとても親切で、面会の度に父の状態を話してくれた。
状態が落ち着いていると思ったが、頭蓋骨と脳の間に炎症を起こしてしまい再手術を行うことになった。
急性期病院へ再び転院となった。
手術をし、状態が落ち着くと療養病院へ・・・
しかし、またもやどこか調子が悪くなり急性期病院へ・・・
の繰り返しだった。
大きな存在
転院を繰り返すようになると同時に父の体力も落ちていった。
終始寝ている時間が多くなった。
どんどん状態が悪化していく父。
ここ3日ほどが山かもしれません。
何度も伝えられた余命宣告。
そのたびに、覚悟を決めた。
父がいなくなったらどうしよう・・・
意識がなくても、父の存在は大きかった。
旅立ち
いよいよ父の状態も目に見えて悪くなっていた。
たくさんの管につながれる父。
心臓の状態、酸素の状態もモニターで管理され、個室管理となった。
夜遅くに知らない番号から着信があった。
いつもは知らない番号は、出ないが、胸騒ぎがして電話に出た。
お父様の呼吸が止まっています。すぐに病院へ来てください。
子供を抱え自宅を飛び出した。
偶然父の病院近くに住んでいた。
車で行こうかと悩んだが、走って行くことにした。
子供を担ぎ、病院まで猛ダッシュした。
走って10分ほどで病院に着いた。
部屋に行くと、父の心臓は止まっていた。
お父さん!!
何度も叫んだ。
すると・・・
心臓の鼓動が動き出した
それは、たった数秒だったが、動いていた。
医師から
お父様は、あなたの声に答えて最後の力を振り絞ったのでしょう。
と・・・。
母は、父の息を引き取る瞬間には間に合わなかった。
母は
運命なのよ。初めての出血の時もあなたがいた。お父さんが呼んでいたのね。
と言った。
大切なひと
人はいつどこで、何があるかわからない。
大切なひと-
決して後悔のないよう。。。
出会えたことに―
感謝しよう。
ありがとう